うきは市のアリト電業のブログ
2026年5月15日
最近は入稿の手間の関係から、本来なら心のブログに書くような深いお話も、こちらに掲載しています。
さて、皆さんは「人間にとって、最も罪深いこと」は何だと思いますか?
それは、誰かに向けてチクチクする言葉を放ったり、蔑んだり、悪口を言ったりすること。
または、人を騙したり、暗い顔にさせたり、嫌がることをすることです。
なぜ、それが最も罪深いのか。
信じる信じないは別として、皆さん一人一人の中には「針の穴ほどの神様」がいらっしゃるからに他なりません。
ということは、他人にすることだけでなく、「自分自身をそのように扱うこと」も、全く同じ罪になるのです。
社会の中で真っ当に生きている人ほど、このことを見落としがちです。
こうした「小さなチクチク」は日々繰り返されるため、積もり積もって、結果的に人をあやめる以上の重い罪を背負っていくことになります。
そういった魂の「穢(けが)れ」は、どれだけ上手に隠していても、オーラが見える人にはすぐに見抜かれてしまいます。
仮にオーラが見えなくとも、人は歳を重ねると、顔や声がそのまま「人生の履歴書」になるため、その罪状を隠し通すことはできません。
また、本人がどんなに忘れていようとも、私たちの中にある「針の穴より小さな受信機」から、「魂」という名のメモリーへと、すべての言動が逐一送られ、記録されているのです。
だからこそ、これ以上は罪を重ねないことです。
親鸞(しんらん)上人のように、「蚊に自分の血を分け与える」という域にまで達すれば、もう人間に生まれ変わって苦しむことはないでしょう。
しかし、他人を傷つけたり騙したりする人の末路は、今世においてもその「種」が芽吹けば、即座に現実へと反映されます。
そして来世においても、そのカルマ(業)を背負ったまま輪廻することになります。
(私がこれまで見てきた限りでりでも、その人の人生の集大成は、息を引き取る瞬間――“今際の際(いまわのきわ)”によく現れていました)
一人一人の中に、神様がいます。
気づくのに「今からでは遅い」ということは、決してありません。過ちに気づき、即座に修正できる自分がいれば、その瞬間にその後の人生は変わります。
今、あなたがこの文章に触れたことは、奇跡に近い偶然です。しかし、こうして出逢ったこと自体が、何かに導かれている「必然」のようにも感じています。
中世の政治思想家 マキャベリは、このような言葉を残しました。
「天国への道を示した書物はたくさんある。しかし私は、あえて地獄への道を説く。なぜか。それを知っていれば、そこを避けることができるからだ」
このブログでは、これからも「ハッピーに生きるための記事」を主軸に書いていくつもりです。ですが、時にこうして「天国への道という題名がついた、地獄のお話」も届けていければと思います。とはいえ、天国への道(メソッド)のほとんどは、苦労や地獄についてのお話なのですよね。要するに、「気づきへの道」と言ったほうが適切かもしれません。
人のために100の努力を積み重ねても、たった一言のトゲで全てが台無しになるのですから、これも当たり前のことなのでしょう。
それでは、また。
店長:稲田智久
一即一切 姿勢よく誠実に、心をこめて今を生きる。面倒でも手を抜くことは教わっておりません。美しさの履歴を残していきたい。
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