町田市の出張専門マッサージのブログ
2025年7月26日
私たちは日々、絶え間なく考え続けています。仕事、人間関係、未来への不安、過去の後悔――気づけば頭の中は思考でぎゅうぎゅう詰めになり、心に余白がなくなってしまうことがあります。
そんなとき、穏やかに生きるための鍵は「考えること」を手放す練習にあります。今回は、思考を手放し、心に余白を取り戻すための具体的な方法を、禅の教えや寓話を通してご紹介します。
地獄と天国は、私たちの「思考」がつくり出している
ある禅の物語に、こんな話があります。
怒りっぽい侍が禅師に「天国と地獄の違いを教えろ」と迫ります。すると禅師は侍を徹底的に侮辱しました。激昂した侍が刀を抜いた瞬間、禅師は静かにこう言います。
「それが地獄です」
その言葉に侍はハッとし、自らの怒りに支配された心に気づき、刀を収めます。深々と頭を下げた彼に、禅師は微笑んで告げました。
「それが天国です」
私たちは、怒りや不安、自己否定などの「思考」によって、自分自身の中に地獄をつくり出してしまいます。逆に、その思考に気づき、手放せたとき、私たちの内に天国が訪れるのです。
頭を「空」にするということ
もう一つ、禅の教えに「茶碗の話」があります。ある日、知識豊富な学者が禅師のもとを訪れました。しかし彼は自分の考えばかりを主張し、禅師の言葉に耳を傾けようとしません。
そこで禅師は、彼の茶碗にお茶を注ぎはじめます。茶碗が満杯になっても注ぎ続け、ついにお茶がこぼれ出します。驚いた学者に、禅師は言いました。
「あなたの頭はこの茶碗のように、自分の考えでいっぱいです。空にしなければ、何も入らないのです」
私たちも同じです。日々の思考でパンパンになった脳には、新しい気づきやひらめきが入り込む余白がありません。だからこそ、まずは「考えない」時間をつくることが必要なのです。
思考をやめようとしなくていい。ただ気づけばいい。
ここで大切なのは、「思考を完全に止めること」ではありません。それは不可能に近いからです。目指すのは、思考にとらわれずに、思考をただ“眺める”こと。
たとえば、濁った泥水のボウルを想像してみてください。多くの人は、それをろ過したり沸かしたりして澄ませようとします。でも、何もせずただ静かに置いておくだけで、泥は自然に底に沈み、水は澄んでいきます。
私たちの頭の中もこれと同じです。無理に考えを止めようとせず、ただ思考に気づき、手放していく。すると自然に心は澄み、静けさが戻ってきます。
奇跡は「余白」にやってくる
作家のカイル・グレイはこう言います。
「奇跡の大きさではなく、奇跡が入る“余白”をどれだけつくるかが大切なのです」
私たちが何か新しい考えや答え、直感を得たいときも同じです。詰め込みすぎた頭には、それらを受け取るスペースがありません。
物理学者アインシュタインは、難題に行き詰まったときバイオリンを弾きました。考えることを手放したとき、答えがふと浮かぶことを知っていたからです。彼は「考えないこと」によって、神聖なインスピレーションを受け取る準備をしていたのです。
考えすぎをやめる3つの実践
では、私たちは日常の中でどんな練習ができるでしょうか?ここにシンプルな3ステップを紹介します。
思考がネガティブ感情の根本原因であると「意識」する
イライラや不安の背景には、必ず何かしらの「考え」があります。まずはそれに気づくこと。
個人の思考を一時的に「手放す」ことで余白をつくる
「今、考えすぎてるな」と気づいたら、深呼吸して、静かに心を今この瞬間に戻してみましょう。
手放したあとの感情に意識を向ける
思考が静かになったときに現れる感情――安心、喜び、愛など――をしっかり味わうことで、自然と内側の智慧とつながっていきます。
思考を手放すことは、とてもシンプルですが、決して簡単ではありません。けれど、再び「今、考えすぎている」と気づきさえすれば、何度でもそこに立ち返ることができます。
思考を手放し、心に余白を取り戻す。
その静かなスペースにこそ、私たちの人生を変える新しい答えや奇跡はやってきます。
店長:石綿 竜大
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