桑名市の観音寺のブログ
2026年5月17日
「曹洞宗(そうとうしゅう)とは、どんな宗教ですか?」 時折、このようなご質問をいただくことがあります。今回は、この問いに分かりやすくお答えしてみたいと思います。
曹洞宗の成り立ちと、ゆかりの人々
まず基本的なことからお話ししますと、曹洞宗は鎌倉時代に道元(どうげん)禅師によって開かれた「禅宗」の一つです。大本山は二つあり、福井県の「永平寺(えいへいじ)」と、神奈川県の「總持寺(そうじじ)」です。
最近では、空気清浄機(Airdog)のテレビCMの舞台として永平寺が紹介されましたので、映像を目にして身近に感じた方もいらっしゃるかもしれません。 また、歴史上の人物や著名人にも曹洞宗にゆかりのある方は多く、自由律俳句で知られる種田山頭火や良寛和尚、永平寺を菩提寺とする三菱財閥創始者の岩崎弥太郎などが知られています。さらには、アップル創業者のスティーブ・ジョブズ氏が曹洞宗の教えに深く傾倒していたことも有名なお話です。
曹洞宗の教えの特徴「修証一如」
では、曹洞宗の教えの特徴とは何でしょうか。 一言で表すなら、「修証一如(しゅしょういちにょ)」という言葉になります。
少し難しく聞こえるかもしれませんが、簡単に言うと「修行(修)と悟り(証)は一体である」という意味です。
一般的なイメージでは、「厳しい修行を重ねた結果、ゴールとして悟りを開く」と思われがちです。しかし道元禅師は、「修行をして悟りの認可状を得たら、もう修行はしなくてもよいのだろうか?」という疑問を抱かれました。そして行き着いたのが、「修行をして悟りを開くのではなく、正しい修行を行っているその姿そのものが、すでに悟りである」という教えでした。
日常のすべてが「修行」である
曹洞宗では坐禅(ざぜん)を中心とした修行を行いますが、坐禅だけが修行ではありません。坐禅に静かに向かうためには、心身の健康や身なりを整えることが不可欠です。
食事を正しくいただくこと、トイレを我慢せずに用を足すこと、お風呂に入って体を清潔に保つこと、しっかりと睡眠をとること、そして掃除をして環境を整理整頓すること。これら日常の当たり前の行いすべてが、大切な「修行」なのです。
部屋がゴミだらけのまま座ったり、睡眠を削って無理に坐禅を組んだりすることが、果たして正しい修行と言えるでしょうか。日々の生活を丁寧に生きることこそが、坐禅の土台となります。
山登りに例えるなら
宗教の違いを「山登り」に例える人がいます。 「富士山に登るのに山梨側から登るか静岡側から登るかの違いであって、頂上(悟り)という目的地は同じだ」という考え方です。
しかし、修証一如の教えに照らし合わせると、曹洞宗の山登りは少し違います。 「山に登り始めたその一歩がすでに頂上(悟り)であり、しかし同時に、頂上に着いたから終わりではなく、常に歩みを止めず登り続ける(修行)」という感覚です。
頂上に着いたからといって「もう着いたのだからいいじゃないか」と、いつまでもそこに居座るわけにはいきませんよね。「本当にこれでいいのか?」と常に自分に問いかけながら歩み続けること、そのものが尊いのです。
まずは「行動」を起こすことの大切さ
「行動より、まずは心や気持ちが大事だ」という方もいらっしゃいます。 もちろん心は大切ですが、頭や心で分かっていても、行動に移さなければ意味がありません。「気持ちの上では一生懸命山を登っている」と言っても、立ち止まっていては前に進まないのと同じです。
心と行動が完全に一致するのが理想ですが、それはなかなか難しいものです。だからこそ、まずは「行動」を起こし、進みながら徐々に「修正」をしていく。それこそが「修行」なのだと思います。「修証一如」という言葉でも、「修(行動)」の字が先に来ています。
先行きが見えず、変化の激しい現代社会。 あれこれと思い悩む前に、まずは生活を整え、目の前の行動を起こしてみる。曹洞宗の教えは、そんな現代を生きる私たちに、力強いヒントを与えてくれるのではないでしょうか。
#曹洞宗 #修証一如 #禅のある暮らし
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