稲城市のゆぎおすのブログ
2024年7月22日
高峰譲吉のお墓(7月22日が命日)
峰 譲吉(たかみね じょうきち、嘉永7年11月3日(1854年12月22日) -
大正11年(1922年)7月22日)は、日本の化学者、実業家。
工学博士及び薬学博士。
タカジアスターゼ、アドレナリンを発見し、
アメリカ合衆国で巨万の財を成しました。
日本人による開発型ベンチャー企業・スタートアップの先駆者とされます。
理化学研究所の設立者の一人。
1912年帝国学士院賞受賞、1913年帝国学士院会員。
現在の東京大学工学部の前身の一つである工部大学校卒。
日本の学位令(勅令)に基づき、高峰は1899年に工学博士号、
1906年には薬学博士号を文部大臣より授与されました。
さらに1912年にはアドレナリン発見の功績から帝国学士院賞を受賞し、
1913年6月26日、帝国学士院会員となる。
同年、日本における「タカジアスターゼ」の独占販売権を持つ
三共(現在の第一三共)の初代社長に就任します。
また、アメリカの会社のアルミニウム製造技術と原料を使い、
富山県黒部川の電源開発による電気を利用した
日本初のアルミニウム製造事業の推進に取り組み、
1919年高峰譲吉らによって東洋アルミナムを設立。
アルミ精錬に必要な電源確保のため黒部川に発電所を建設することになり、
その資材輸送手段として鉄道建設も計画し黒部鉄道を設立、
1921年鉄道免許状が下付された。
また宇奈月温泉の礎となった黒部温泉株式会社や、
黒部水力株式会社も立ち上げています。
1922年7月22日、腎臓炎のためニューヨークにて死去。
日本人は帰化不可とされていたため、当時の移民法により
生涯アメリカの市民権は得られませんでした。
また黒部鉄道の開業は同年11月5日だったため、
目にすることは叶いませんでした。
墓所は青山霊園とニューヨークブロンクスのウッドローン墓地にあります。
店長:源川 準
礼に始まり、礼で終わるお墓参り代行
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