稲城市のゆぎおすのブログ
2024年8月29日
イングリッド・バーグマンのお墓(8月29日が命日)
イングリッド・バーグマン(典: Ingrid Bergman, 1915年8月29日 -
1982年8月29日)は、ヨーロッパとアメリカで活躍したスウェーデン出身の女優。
アカデミー賞を3回、エミー賞を2回、トニー賞の演劇主演女優賞の受賞経験があり、
AFI(アメリカン・フィルム・インスティチュート)選定の
「映画スターベスト100」の女優部門では第4位。
バーグマンはアメリカで女優として成功をおさめる以前から、
スウェーデンでは名を知られた女優でした。バーグマンがアメリカ映画に初出演したのは、
スウェーデン映画の『間奏曲』をリメイクした『別離』(1939年)です。
その際立った美貌と知性でアメリカ映画に
「北欧からの瑞々しい息吹」を吹き込んだバーグマンは、
すぐさま「アメリカ人女性の理想」となりハリウッドを代表する女優の一人となりました。
映画監督ヴィクター・フレミングがリメイクした映画『ジェキル博士とハイド氏』(1941年)に
出演したバーグマンは、後に自身をハリウッドへ招く
映画プロデューサーのデヴィッド・O・セルズニックに認められます。
セルズニックはバーグマンのことを、今までともに仕事をしてきた中で
「もっとも完成された誠実な女優」と評価しています。
セルズニックはバーグマンに7年間の出演契約を提示し、
その後の女優活動をプロデューサーとして支えていくことになります。
バーグマンがセルズニックとは無関係に出演した映画には『カサブランカ』(1942年)、
『誰が為に鐘は鳴る』(1943年)、『ガス燈』(1944年)、
『聖メリーの鐘』(1945年)『汚名』(1946年)、『山羊座のもとに』(1949年)があり、
独立系映画としては『ジャンヌ・ダーク』(1948年)があります。
バーグマンは67歳の誕生日に当たる1982年8月29日に、
長きにわたる乳がんとの闘病生活の末にロンドンで死去しました。
遺体はロンドンのケンサル・グリーン霊園で火葬に付され、
遺灰がスウェーデンへと送られました。
遺灰のほとんどはスウェーデン西海岸のブーヒュースレーン地方の小島にある
漁村フヤルバッカ周辺の海に散骨されました。
この小島は、バーグマンが1958年から死去する1982年まで
夏季の多くを過ごした場所でした。
海に散骨されなかった遺灰は、ストックホルムの北霊園 の、
バーグマンの両親が眠る墓の隣に埋葬されました。
店長:源川 準
礼に始まり、礼で終わるお墓参り代行
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