稲城市のゆぎおすのブログ
2024年11月27日
賀茂真淵のお墓(11月27日が命日)
賀茂 真淵(かもの まぶち、元禄10年3月4日
〈1697年4月24日〉- 明和6年10月30日
〈1769年11月27日〉)は、江戸時代中期の国学者、歌人。
通称三四。真淵は出生地の敷智(ふち)郡に
ちなんだ雅号で、淵満(ふちまろ)とも称しました。
荷田春満、本居宣長、平田篤胤とともに
「国学の四大人(しうし)」の一人とされます。
『万葉集』などの古典研究を通じて
古代日本人の精神を研究し、和歌における
古風の尊重(万葉主義)を主張して
和歌の革新に貢献しました。
また、人為的な君臣の関係を重視する
朱子学の道徳を否定し、「日本の古典にみられ、
古代日本人の精神性の純粋な表れとされる、
作為のない自然の心情・態度こそ
人間本来のあるべき姿である」として、
古道説を確立しました。
宝暦13年(1763年)、真淵は宗武の命により
大和へ旅に出ます。この旅の途中で伊勢神宮への参拝を終えて
伊勢松阪の旅籠「新上屋」に宿泊していたところ、
情報を聞きつけた本居宣長が訪れ、
生涯一度限りの出会いを経験します。
宣長は後に真淵の門下生となり、
以後文通による指導(『万葉集問目』)が続きました。
なお、真淵が江戸に戻ってきたのは同年の夏頃で、
足かけ半年にわたる大旅行でした。
明和元年(1764年)、真淵は住居を浜町に移し、
「県居」と号します。
明和6年(1769年)に死去。享年73。
墓は東京都品川区の東海寺大山墓地。
戒名は「玄珠院真淵義龍居士」、墓石の表には
「賀茂県主大人墓」とあります。この墓には
国学者たちの参詣が末永く後を絶たず、
とりわけ江戸の門人たちは忌日に墓参りと献詠を怠りませんでした。
店長:源川 準
礼に始まり、礼で終わるお墓参り代行
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