稲城市のゆぎおすのブログ

大瀧 詠一のお墓(12月30日が命日)

2023年12月30日

大瀧 詠一、大滝 詠一(おおたき えいいち、本名:大瀧 榮一、
1948年〈昭和23年〉7月28日 - 2013年〈平成25年〉12月30日)は、
日本のミュージシャン。シンガーソングライター、作曲家、アレンジャー、
音楽プロデューサー、レコードレーベルのオーナー、
ラジオDJ、レコーディング・エンジニア、マスタリング・エンジニア、
著述家、元Oo Records取締役など、多くの顔を持っています。

<はっぴいえんどで活躍>
1948年生まれ7月28日岩手生まれ。
1970年代にはっぴいえんどのボーカル&ギターとして活躍し、
解散後は自身のレコードレーベル「ナイアガラ」を創設。
1981年発表のソロアルバム「A LONG VACATION」は
日本のポップス史に残る名盤となります。
その後も松田聖子「風立ちぬ」、森進一「冬のリヴィエラ」、
小林旭「熱き心に」など数多くのヒット曲のプロデュースを担当。
1997年には自身のオリジナル曲「幸せな結末」が
月9ドラマの主題歌として大ヒットを記録しました。
2013年12月30日解離性動脈瘤により死去。
2014年12月3日に初のベストアルバム「Best Always」がリリースされました。

<大滝詠一のお墓は富士見霊園>
大瀧詠一の墓は東京都羽村市の羽村市営富士見霊園にあります。
墓石の正面には「Niagara」と記されています。

大瀧詠一は子どもの頃からFEN(米国極東放送)を聴き、
電波に乗ってくるアメリカンポップスやマージービートに憧れて育ちます。
1970年に松本隆や細野晴臣らとバンド「はっぴいえんど」を結成してデビュー。
その後、「ナイアガラ・レーベル」を立ち上げ、数々の名曲を世に送り出すと同時に、
他のアーティストへの楽曲提供も行いました。
大瀧詠一は羽村市営富士見霊園から程近い西多摩郡瑞穂町に、
米兵用住宅を改造した平屋一戸建ての自宅兼スタジオ(通称:Fussa45)を持ち、
1973年にこの地に移ってから死ぬまでそこに居を構えていました。


大瀧 詠一のお墓(12月30日が命日)の画像1大瀧 詠一のお墓(12月30日が命日)の画像2

店舗情報

店長の写真

店長:源川 準

礼に始まり、礼で終わるお墓参り代行

所在地

〒2060823
東京都稲城市平尾1-45-2サイレントパーク15−203

営業時間

平日9:00 〜18:00 土日祝12:00 〜17;00

定休日

年中無休

対応地域

<関東>

東京都

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