稲城市のゆぎおすのブログ

法然のお墓(2月29日が命日)

2024年2月29日

法然のお墓(2月29日が命日)

法然(ほうねん、長承2年(1133年) - 建暦2年(1212年))は、
平安時代末期から鎌倉時代初期の日本の僧。
はじめ山門(比叡山)で天台宗の教学を学び、承安5年(1175年)、
専ら阿弥陀仏の誓いを信じ「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えれば、
死後は平等に往生できるという専修念仏の教えを説き、
のちに浄土宗の開祖と仰がれた。
法然は房号で、諱は源空げんくう
、幼名を勢至丸、通称は黒谷上人、吉水上人とも呼ばれます。

承元元年(1207年)12月に赦免されて讃岐国から戻った法然が
摂津国豊島郡(現・箕面市)の勝尾寺に
承元4年(1210年)3月21日まで滞在していた記録が残っています。
翌年の建暦元年(1211年)には京に帰り、
吉水草庵に入ろうとしたが荒れ果てていたため、
近くにある大谷禅房(現・知恩院勢至堂)に入ります。
建暦2年(1212年)1月25日、大谷禅房にて死去。享年80(満78歳没)。
なお、死の直前の1月23日には弟子の源智の願いに応じて、
遺言書『一枚起請文』を記しています。
廟所は大谷禅房の隣(現・知恩院法然上人御廟)に建てられました。

法然の死後15年目の嘉禄3年(1227年)、
天台宗の圧力によって隆寛、幸西、空阿が流罪にされ、
僧兵に廟所を破壊される事件が発生します。
そのため、信空と覚阿が中心となって蓮生(れんじょう、宇都宮頼綱)、
信生、法阿、道弁らと六波羅探題の武士たちが護衛して
法然の遺骸を嵯峨の二尊院に移送しました。
更に証空によって円空がいた太秦の広隆寺境内の来迎院に、
更に西山の粟生にいる幸阿の念仏三昧院に運び込んだ。
そして、法然の十七回忌でもある安貞2年(1228年)1月25日に
信空、証空、覚阿、幸阿、円空らが見守る中で火葬して荼毘に付し、
遺骨は知恩院などに分骨されました。

法然のお墓(2月29日が命日)の画像1法然のお墓(2月29日が命日)の画像2

店舗情報

店長の写真

店長:源川 準

礼に始まり、礼で終わるお墓参り代行

所在地

〒2060823
東京都稲城市平尾1-45-2サイレントパーク15−203

営業時間

平日9:00 〜18:00 土日祝12:00 〜17;00

定休日

年中無休

対応地域

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