稲城市のゆぎおすのブログ
2024年11月8日
島倉千代子のお墓(11月8日の命日)
島倉 千代子(しまくら ちよこ、1938年(昭和13年)3月30日 -
2013年(平成25年)11月8日)は、日本の演歌・歌謡曲歌手。
東京府東京市(現在の東京都)品川区北品川出身、
日本音楽高等学校卒業。愛称は「お千代さん」。
1987年(49歳)、『人生いろいろ』を発表。
「30回という区切りを大切にしたい」と“紅白辞退”の記者会見を行い、
紅白連続出場記録は30回でストップ。
出場辞退表明の記者会見で若手記者から
「結局、落選するのが怖かったということですか」
と辛辣な質問をされ、「その通りです」と返答しました。
『紅白50回』のインタビューで本人は
「辞退は前年の時点で決めており、
前回身に纏った白色の着物はその表れだった」
「ここ数年紅白に出られるか出られないかで不安だった。
もし落選したらショックで歌えなくなると思った。
そのため、余力のあるうちに辞退しようと思った」
と語りました。島倉は
出場辞退をこの年発売の『人生いろいろ』の作曲者で
当時療養中の浜口庫之助に報告したところ、
「紅白で『人生いろいろ』が聞けないのか」
と返されたことを明かしています。
1989年6月(51歳)、美空ひばりが52歳で
間質性肺炎による呼吸不全で死去。自身の後援会で
愛知県に滞在中に訃報を聞いた島倉は
その後のスケジュールを切り上げて目黒区青葉台の
ひばり邸に駆けつけ、息子の加藤和也に頼み
3日間ひばりのそばに張り付いて離れなかったそうです。
持病の慢性肝炎が進行していた中で2010年12月に
肝臓癌を発症したことが判明、
手術・入退院を繰り返していました。
肝臓癌発症はごく少数の関係者にしか打ち明けていませんでした。
その間、3度の肝動脈塞栓術を受けたが、
2013年前半には肝硬変に至っていました。
同年3月30日、75歳の誕生日にはコロムビアレコードの
100周年を記念し復活したイベント
「コロムビア大行進2013」に出演し、数千人の聴衆を前に
トークを交えながら『人生いろいろ』など数曲を歌いました。
同年5月から仕事をセーブするようになり、
同年6月21日、宮崎県延岡市で開催したコンサートが
生涯最後のステージとなりました。
同年6月、日本テレビ「1番ソングSHOW」の取材を受けます
(これが生涯最後のテレビ取材)。
同年9月14日にブログを更新しました(最後の更新)。
同年10月中旬に一時退院、2014年の
デビュー60周年に向け復帰への意欲は衰えず、
死去3日前の2013年11月5日に自宅で
記念曲『からたちの小径』を録音します。
レコーディングは当初、11月15日に行う予定だったが、
島倉自身から「その日まで待てない」と関係者に
連絡を入れて11月5日に急遽吹き込みが行われます。
同曲の作曲を担当し、レコーディングにも立ち会った
南こうせつは「(島倉の具合から)1回位しか歌えないかと思ったが、
3回も歌われた。奇跡の歌声だった」と語りました。
11月6日、「体調が悪いので来てほしい」と自宅から
スタッフに電話して中目黒の東京共済病院に再入院。
入院先から島倉本人が南こうせつへ電話をかけ、
感謝の意を伝えたそうです。
翌々日の2013年11月8日朝に容体が急変。
午後12時30分、東京共済病院の病室にて
所属事務所の女性スタッフに看取られ、
眠るように息を引き取りました。
死因は肝臓がんでした。満75歳没(享年76)。
周囲の関係者にはあらかじめ、
通夜は密葬とし、香典は断るように伝えていました。
島倉の死去から6日後の2013年11月14日、
葬儀が南青山の青山葬儀所で営まれます。
会場には、『からたちの小径』の録音後に
涙声で次の言葉を語る、島倉の
生涯最後となる肉声テープが流されました。
戒名は寳婕院千代歌愛大姉。
故郷・北品川の臨済宗東海寺大山墓地に
生前に建てていた墓に眠っています。
店長:源川 準
礼に始まり、礼で終わるお墓参り代行
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