稲城市のゆぎおすのブログ
2024年12月6日
遠藤実のお墓(12月6日が命日)
遠藤 実(えんどう みのる、1932年(昭和7年)7月6日 -
2008年(平成20年)12月6日)は、戦後歌謡界を代表する
作曲家の一人。東京府南葛飾郡吾嬬町
(後の東京府東京市向島区、現在の東京都墨田区立花)に生まれ、
杉並区南荻窪1丁目に居住していました。
作曲家として世に送り出した楽曲は5000曲以上と言われ、
舟木一夫、千昌夫、森昌子など多くの歌手を育てました。
また、遠藤本人が作詞も併せて行った作品も一部存在します
(橋幸夫、千昌夫、山本リンダ、こまどり姉妹、渥美二郎等の楽曲)。
第二次世界大戦時の1943年3月、新潟県西蒲原郡曽根町
(現在の新潟市西蒲区)に疎開。
父が新潟刑務所の看守へ配属されることが決まり
新潟県西蒲原郡内野町(現在の新潟市西区内野)に引っ越します。
高等小学校卒業後、14歳で日東紡績内野工場の工員となります。
1948年、山乃家菊丸とコンビを組み、門付け
(越後獅子等の芸を民家の軒先で披露し、
金品を貰う習慣である新潟特有の演芸スタイル)芸人になりました。
これが、後の作曲家人生に大きな影響を与えます。
1988年4月、ハワイで心臓のバイパス手術を受けます。
当初発案していた「日本音楽作家協会」設立に関する諸々を、
発案仲間で業界の重鎮である作詞家松井由利夫・
石本美由紀、猪俣公章、弟子である冬樹かずみ等に
前もって依頼した経緯があります。この時の呼びかけにより、
三木たかし等も賛同しました。
翌1989年、テレビ朝日で『玉置宏の歌謡日本』が
日本音楽作家教会の協賛で放送開始。
病中ながら関連資料の監修等
積極的な音楽活動に貢献します。
1994年、新潟県西蒲原郡巻町(現在の新潟市西蒲区)に
遠藤実記念館「実唱館」がオープン。
2002年、勲三等旭日中綬章受章。
2003年、歌謡界から初めて文化功労者に選出されます。
2008年12月6日10時54分、急性心筋梗塞のため
東京都中央区の病院で死去。76歳没。
2008年12月19日、日本国政府は遠藤に対し、
数々の楽曲で大衆音楽発展に尽くした遠藤の功績を讃え、
死去した12月6日付で正四位に叙し、
旭日重光章を授与することを決めた。
更に2008年12月26日の閣議に於いて、
2009年1月23日に国民栄誉賞を授与することを正式決定。
国民栄誉賞の受賞は陸上選手の高橋尚子以来
8年ぶり16人目の受賞で、作曲家では
古賀政男、服部良一、吉田正に次いで
4人目の受賞者でした。
東京都西東京市の総持寺と、新潟市曽根の金剛寺にお墓があります。
店長:源川 準
礼に始まり、礼で終わるお墓参り代行
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