稲城市のゆぎおすのブログ
2024年9月8日
湯川秀樹のお墓(9月8日が命日)
湯川 秀樹(ゆかわ ひでき、1907年(明治40年)1月23日 -
1981年(昭和56年)9月8日)は、日本の物理学者(理論物理学)。
学位は、理学博士(大阪帝国大学・1938年)。
京都大学・大阪大学名誉教授。京都市名誉市民。
1943年(昭和18年)文化勲章。位階勲等は従二位勲一等旭日大綬章。
原子核内部において、陽子や中性子を互いに結合させる強い相互作用の媒介となる
中間子の存在を1935年に理論的に予言しました。
1947年、イギリスの物理学者セシル・パウエルが
宇宙線の中からパイ中間子を発見したことにより、
湯川の理論の正しさが証明され、これにより1949年(昭和24年)、
日本人として初めてノーベル賞を受賞しました。
京都大学退官後の1975年(昭和50年)に前立腺癌を発症し、
手術を受けます。手術により癌の進行は抑えましたが、
その後は自宅で療養を続けながら学術活動を行います。
米ソ両国の緊張激化を受け、
第4回科学者京都会議の発起人の一人となって1981年(昭和56年)6月、
15年ぶりに開催を実現します。このときすでに健康状態が悪化しており、
会議には車椅子姿で出席して核廃絶を訴えました。
3か月後の同年9月、急性肺炎から心不全を併発し、
京都市左京区の自宅で死去。74歳没。
墓所は京都市東山区の知恩院。
邸宅は没後40年を経て2021年9月に京大に寄付されました。
大学は整備し研究者や来客者向けの施設に活用を公表しています。
店長:源川 準
礼に始まり、礼で終わるお墓参り代行
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