稲城市のゆぎおすのブログ

徳川家綱のお墓(6月4日が命日)

2024年6月4日

徳川家綱のお墓(6月4日が命日)

徳川 家綱(とくがわ いえつな)は、江戸幕府の第4代将軍(在職:1651年 - 1680年)。

寛永18年(1641年)8月3日、第3代将軍・徳川家光の長男として江戸城本丸に生まれます。
母は七澤清宗の養女・楽子。幼名は竹千代。乳母は川崎(真現院)・三沢局[2]。
父の家光は、生まれた時から家綱を自らの後継ぎに決めていたそうです。
その理由は、家光と弟の忠長との間で世継争いがあったためとも、
ようやく生まれた待望の男児だったためともいわれています。

正保元年(1644年)12月、名を家綱と改め、
正保2年(1645年)4月に元服する。慶安3年(1650年)9月に西の丸へ移ります。
慶安4年(1651年)4月20日、家光が48歳で薨去すると、家綱は8月18日(10月2日)、
江戸城において将軍宣下を受けて第4代征夷大将軍に就任し、内大臣に任じられました。
幼年で将軍職に就いたことにより、将軍世襲制が磐石なものであることを全国に示しました。

12月には本丸へ移ります。この前例を受け、家綱以後(最後の慶喜を除く)の将軍宣下は
京都ではなく、江戸で行われることとなります。
延宝8年(1680年)5月初旬に病に倒れ、危篤状態に陥った家綱は、
堀田正俊の勧めを受けて末弟の館林藩主松平綱吉を養子に迎えて将軍後嗣とし、
直後の5月8日に死去しました。享年40 (満38歳没)。
死因は未詳ですが、急性の病気(心臓発作など)と言われています。
家綱の死により、徳川将軍家の直系の子が将軍職を世襲する形は崩れました。

東京・上野の寛永寺に墓所があります。


徳川家綱のお墓(6月4日が命日)の画像1徳川家綱のお墓(6月4日が命日)の画像2

店舗情報

店長の写真

店長:源川 準

礼に始まり、礼で終わるお墓参り代行

所在地

〒2060823
東京都稲城市平尾1-45-2サイレントパーク15−203

営業時間

平日9:00 〜18:00 土日祝12:00 〜17;00

定休日

年中無休

対応地域

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