稲城市のゆぎおすのブログ
2024年7月21日
岩倉具視のお墓(7月20日が命日)
岩倉 具視(いわくら ともみ、旧字体:岩倉 具󠄁視󠄁、
1825年10月26日〈文政8年9月15日〉-
1883年〈明治16年〉7月20日)は、日本の公家、政治家。雅号は対岳。
謹慎中の法名は友山。補職・位階勲等は、贈太政大臣贈正一位大勲位。
維新の十傑の1人。
1883年(明治16年)初め頃には咽頭癌の症状が
はっきりと出始めていました。
岩倉は5月25日には京都御所保存計画のため京都へ赴きますが、
ここでますます症状が悪化します。
これを聞いた明治天皇は、勅命により東京大学医学部教授をしていた
エルヴィン・フォン・ベルツを京都に派遣して診察させました。
岩倉はここでベルツからは癌告知を受けますが、
これが記録に残る日本初の癌告知です。
その後船で東京へ戻され、明治天皇から数度の
見舞いを受けますが回復することはなく、
最後の天皇の見舞いの翌日の7月20日死去。享年59。
7月25日に日本初の国葬が執り行われました。
墓所は東京都品川区の海晏寺です。
店長:源川 準
礼に始まり、礼で終わるお墓参り代行
<関東>
東京都
神奈川県