稲城市のゆぎおすのブログ
2024年10月16日
マリー・アントワネットのお墓(10月16日が命日)
マリー=アントワネット=ジョゼフ=ジャンヌ・
ド・アプスブール=ロレーヌ( 1755年11月2日 - 1793年10月16日)
またはマリー=アントワネット・ドートリッシュは、
フランス国王ルイ16世の王妃(王后・王太后)。
オーストリアとフランスの政治的同盟のため
ルイ16世へ嫁ぎ、フランス革命で処刑されました。
遺書を書き終えた彼女は、朝食についての希望を
部屋係から聞かれると「何もいりません。すべて終わりました」と
述べたと言われ、そして白衣に白い帽子を身に着けます。
革命広場に向かうため、アントワネットは
特別な囚人として肥桶の荷車で
ギロチンへと引き立てられていきます。
コンシェルジュリーを出たときから、
苦なく死ねるように髪を短く刈り取られ
両手を後ろ手に縛られていました。
19世紀スコットランドの歴史家アーチボルド・アリソンの著した
『1789年のフランス革命勃発から
ブルボン王朝復古までのヨーロッパ史』などによれば、
その最期の言葉は、死刑執行人シャルル=アンリ・サンソンの
足を踏んでしまった際に発した
「お赦しくださいね、ムッシュウ。わざとではありませんのよ」
だとされています。
10月16日の12時15分、ギロチンが下ろされ刑が執行されました。
それまで息を殺していた何万という群衆は
「共和国万歳!」と叫び続けました。
その後、群衆は昼飯の時間帯であったこともあり一斉に退散し、
広場は閑散とします。
数名の憲兵がしばらく断頭台を見張っていたが、
やがて彼女の遺体は刑吏によって小さな手押し車に、
首は手押し車の足に載せられ運び去られました。
遺体はまず集団墓地となっていたマドレーヌ墓地に
葬られます。のちに王政復古が到来すると、
新しく国王となったルイ18世は私有地となっていた
旧墓地を地権者から購入し、
兄夫婦の遺体の捜索を命じます。
その際、密かな王党派だった地権者が
国王と王妃の遺体が埋葬された場所を
植木で囲んでいたのが役に立ちました。
発見されたアントワネットの亡骸は
ごく一部であったが、1815年1月21日、
歴代のフランス国王が眠るサン=ドニ大聖堂に
夫のルイ16世とともに改葬されました。
店長:源川 準
礼に始まり、礼で終わるお墓参り代行
<関東>
東京都
神奈川県