稲城市のゆぎおすのブログ
2024年12月5日
十八代目中村勘三郎のお墓(12月5日が命日)
十八代目 中村 勘三郎(なかむら かんざぶろう、
1955年〈昭和30年〉5月30日 -
2012年〈平成24年〉12月5日)は、歌舞伎役者、俳優。
本名は波野 哲明(なみの のりあき)。屋号は中村屋。
定紋は角切銀杏、替紋は丸に舞鶴。
舞踊名に藤間 勘暢(ふじま かんちょう)、
猿若 勘三郎(さるわか かんざぶろう)がある。
子役時代から46年間名乗った前名である
五代目 中村 勘九郎(なかむら かんくろう)としても知られます。
愛称は本名からきた「のりちゃん」。
所属事務所は ファーンウッド。
歌舞伎役者としては江戸の世話物から上方狂言、
時代物、新歌舞伎から新作など、
幅広いジャンルの役柄に挑み続けたことで知られました。
コクーン歌舞伎や平成中村座を立ち上げ、渡辺えりや野田秀樹、
串田和美などといった現代劇の劇作家、演出家らと組んで、
古典歌舞伎の新解釈版や新作歌舞伎の上演に取り組んだり、
地方巡業や海外公演も精力的に行うなど、
その演劇活動は常に進取的であった。
また現代劇にも積極的に出演し、特に長姉・波乃久里子や
藤山直美・柄本明らと組んで出演した『浅草パラダイス』は
長期にわたる人気演目となりました。
2006年(平成18年)には同じ顔合わせで
『ヨイショ!の神様』にも出演しています。
父は十七代目中村勘三郎、父方の祖父は三代目中村歌六、
母方の祖父は六代目尾上菊五郎で、
長男は六代目中村勘九郎、次男は二代目中村七之助。
母方の伯父に七代目尾上梅幸と二代目尾上九朗右衛門、
叔父には六代目清元延寿太夫・二代目大川橋蔵がいます。
妻・好江は七代目中村芝翫の次女で、
日本舞踊中村流の二代目中村梅彌は義姉、
九代目中村福助、八代目中村芝翫は義弟にあたる。
また、次姉・千代枝の夫は二代目澤村藤十郎で義兄にあたります。
さらに、七代目尾上菊五郎と七代目清元延寿太夫と丹羽貞仁は
母方の従兄弟。ほか、部屋子に生前「三人目の倅」と
可愛がっていたという二代目中村鶴松がいる。
同世代の歌舞伎役者とも交流が広く、自著でも名前を挙げ、
特に懇意にしている役者としては十代目坂東三津五郎、
坂東彌十郎らがおり、コクーン歌舞伎や平成中村座公演など
自身の公演の脇役としても数多く起用するなど、
その信頼は厚い。
しかし2012年(平成24年)、後述のとおり食道癌を発端として
徐々に体調を崩していき、同年12月5日に
急性呼吸窮迫症候群のため死去します。
2013年(平成25年)4月には新生・歌舞伎座こけら落としを
控えていた歌舞伎界に在って、その牽引役の一人と目されていた
十八世勘三郎の死去は梨園に留まらず、
各界各方面から「大きな損失」と惜しまれました。
2012年(平成24年)
5月30日、57回目の誕生日を迎え、
翌31日に平成中村座ロングラン公演千秋楽。
長期公演を無事成功させ、その後に受けた健康診断で、
初期の食道癌に罹患していることが判明したため、
6月18日、年内の演劇活動を停止し
療養に専念することを発表します。
癌公表後の7月18日に長野県松本市の
まつもと市民芸術館での
『平成中村座 信州まつもと大歌舞伎』の『天日坊』千秋楽で
木曽義仲の役でサプライズ出演、そのカーテンコールで
舞台衣装姿のまま登場し、観客の声援に応えて
「必ずや松本(の舞台)に帰って来てみせます」と挨拶。
これが最後の舞台出演であり、かつ公の場での最後の姿となります。
手術は桑田佳祐と同じ執刀医により行われ、
7月27日に食道癌摘出手術を行い、
一時は病棟内を歩行できるまでに回復しました。
11月13日、快方に向かっていたが、
9月に入り、肺疾患が見つかったことが
松竹・所属事務所ファーンウッドの連名で発表。
翌14日には、肺疾患が癌の転移ではなく、
抗がん剤治療などに伴う免疫力低下の影響からウイルスに感染、
肺炎を発症したこと、さらに、その悪化により
急性呼吸窮迫症候群から肺水腫を発症し、
人工肺および人工呼吸器を使用しているなど、
詳細な病状とともに、重篤な状態であることが報道されます。
12月5日午前2時33分、急性呼吸窮迫症候群のため、
東京都文京区の日本医科大学付属病院で死去。
満57歳没 (享年58)。最期は家族の他、
親交の深かった女優の大竹しのぶ・演出家の野田秀樹・
野球評論家の江川卓が看取りました。
12月10日、都内文京区の自宅で通夜が営まれた。
あくまで「近親者だけの密葬」とされていましたが、
長嶋茂雄、宮沢りえ、山田洋次、七之助の高校時代の同級生だった
嵐の松本潤ら、各界から約700名が弔問、
改めてその人柄と広い交友関係が偲ばれました。
また、一時は自宅前から約80メートルの
長い列ができるほどでした。
翌11日、告別式・葬儀が営まれ、
この時も約500名を数える関係者が参列、
その早過ぎる別れを惜しみます。棺には
歌舞伎の「船弁慶」の前半部で着用される
静御前の衣装が掛けられ、中には
2013年4月開場予定の新しい歌舞伎座の完成予想図や
好江夫人との写真が納められました。
法名は演劇の「演」及び自身の本名の波野哲明から
「明」をそれぞれ採って
「演暢院釋明鏡大居士(えんちょういんしゃくみょうきょうだいこじ)」。
通夜、告別式、葬儀は中村屋代々の菩提寺である
台東区竜泉の西徳寺(真宗佛光寺派)の僧侶が務めました。
店長:源川 準
礼に始まり、礼で終わるお墓参り代行
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