稲城市のゆぎおすのブログ
2024年11月23日
樋口一葉のお墓(11月23日が命日)
樋口 一葉(ひぐち いちよう{歴史的仮名遣では、ひぐち いちえふ}、
1872年5月2日〈明治5年3月25日〉-
1896年〈明治29年〉11月23日)は、日本の小説家。
東京生まれ。戸籍名は「奈津」だが、本人は
「夏子」「夏」「なつ」と名乗ったり
自署したりすることが多い。
中島歌子に和歌や古典文学を、半井桃水に
小説を学びました。生活に苦しみながら、
『たけくらべ』『にごりえ』『十三夜』といった秀作を発表。
文壇から絶賛され、わずか1年半でこれらの作品を
送り出した後、24歳で肺結核により夭逝した。
没後に発表された『一葉日記』も高い評価を受けています。
1896年(明治29年)には『文藝倶楽部』に
『たけくらべ』が一括掲載されると、森鷗外や幸田露伴は
同人誌『めさまし草』で一葉を高く評価します。
5月には『われから』を『文藝倶楽部』で、
『通俗書簡文』を『日用百科全書』で発表。
しかし一葉は治療法が当時なかった肺結核が進行しており、
8月に斎藤緑雨の依頼を受けた(自らも医者である)森鷗外が、
当代随一と言える樫村清徳、青山胤通らの医師を
頼み往診に向かわせたが、回復が絶望的との診断を受けます。
11月23日、丸山福山町の自宅において、
24歳と6か月で死去。自宅跡には、
一葉終焉の地であることを示す石碑が建てられています]。
葬儀は11月25日に他人にきてもらうだけの営みが
できないという理由で、身内だけ十数人で
築地本願寺で質素に行われました。一葉の才を高く評価し、
その早世を惜しんだ森鷗外は、”陸軍一等軍医正・森林太郎”としての
正装の上で、騎馬にて棺に従う参列を打診したが、
遺族に丁重に断られています。
墓は樋口家の菩提寺である築地本願寺別院で、
のち杉並区永福の築地本願寺和田堀廟所へ移されました。
法名は、智相院釋妙葉信女。
店長:源川 準
礼に始まり、礼で終わるお墓参り代行
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