稲城市のゆぎおすのブログ
2024年9月10日
ダルトン・トランボのお墓(9月10日が命日)
ダルトン・トランボ(ドルトン・トランボとも表記、
Dalton Trumbo, 1905年12月9日 - 1976年9月10日)は、
アメリカ合衆国の脚本家、映画監督、小説家。
アメリカで1940年代に起こった赤狩りに反対した
いわゆるハリウッド・テンの一人。
実名でハリウッドに復帰した後、『脱獄』『パピヨン』などの脚本に関わりました。
また、長年映画化を希望していた自作の小説『ジョニーは戦場へ行った』を、
自らの監督作品として原作・脚本を兼ね、自ら資金も調達して製作。
1971年に公開され、アメリカでは興行的に失敗したが、
カンヌ国際映画祭では審査員特別グランプリ、
FIPRESCI(国際映画批評家連盟)賞、
国際エヴァンジェリ映画委員会賞を受賞します。
1970年、全米脚本家組合から功労賞を送られました。
これは「ブラックリスト」に載せられたトランボへの
「和解」を意味することになりました。
1975年5月5日、映画芸術科学アカデミーから、『黒い牡牛』に対する
アカデミー原案賞としてオスカー像のレプリカが授与されました。
1976年9月10日、ハリウッドの自宅で心臓発作により死去。70歳。
医学の発展の為にこのUCLAの大学病院に自分の亡骸を献体したといいます。
店長:源川 準
礼に始まり、礼で終わるお墓参り代行
<関東>
東京都
神奈川県