稲城市のゆぎおすのブログ
2024年9月11日
夏目雅子のお墓(9月11日が命日)
夏目 雅子(なつめ まさこ、1957年(昭和32年)12月17日
- 1985年(昭和60年)9月11日)は、日本の女優。
本名は西山 雅子(にしやま まさこ)。旧姓は小達(おだて)。神奈川県横浜市中区出身。
夫は作家の伊集院静。弟にプロゴルファーの小達敏昭がいます。
其田事務所などに所属していました。
1978年、『西遊記』(全27話)において、旅の一行のまとめ役である
「三蔵法師」役を演じ、同作品は大きな人気を得ます。
本来は「男性」である三蔵法師でしたが、女性の夏目が演じることで、
高貴で中性的な三蔵法師像を演出しました。
同作は社会的な大ヒット作となり、翌年の1979年には続編の
『西遊記II』(全26話)も放送され、夏目の知名度を大きくアップさせました。
同じく1978年には、毎日放送の横溝正史シリーズ『悪魔の手毬唄』で準主役。
ドラマが好評で夏目の人気が高まり、バラエティー番組などの
タレントとしての出演が増えていましたが、
「本格的に女優を目指したい」と本人が直訴して、P&M事務所 から、
文学座とつながりの深い其田事務所に移籍します。
以降は女優業が中心となります。
1982年、『鬼龍院花子の生涯』の台詞「なめたらいかんぜよ!」が流行語に。
この映画では、当初彼女のヌードシーンはスタントを立てる予定でしたが、
「他の出演者の女優さんが何人か脱いでいるのに、自分だけ脱がないのはおかしい。
私も脱いで演技します」と本人が希望しました。
ブルーリボン賞を受賞したが、授賞式では
「これからもお嬢さん芸でがんばりたいと思います」とスピーチしました。
1984年、作家の伊集院静と結婚。
妻子のある伊集院とは長い不倫関係でした。
結婚後は神奈川県鎌倉市由比ガ浜に在住。
媒酌は行きつけの鎌倉長谷寺近くにある寿司店主夫妻で、
結婚式もこの寿司店で、内輪だけで行われました。
夏目は舞台『愚かな女』(1985年2月3日 - 2月24日、PARCO西武劇場)の
ヒロイン役に抜擢され、福田陽一郎の演出の下、
稽古に積極的に取り組みます。
この頃より10円玉大の口内炎ができたり、
激しい頭痛が起きたりするなど身体に異変が現れ始めます。
共演の宝田明や付き人の銭神信子らに体調不良を訴えつつも、
公にしないまま舞台の開幕を迎えた。しかし、その演技は普段の夏目に比べて
明らかに精彩を欠くものだったと津川雅彦が述懐しています。
公演日程を折り返した2月14日にはついに体調不良を隠せなくなり、
公演続行を望む夏目を福田と共演の西岡徳馬が説得し、
翌2月15日に慶應義塾大学病院へ入院します。
入院後の検査の結果、急性骨髄性白血病と診断されますが、
夏目本人には「極度の貧血」とだけ告げ、本当の病名を伏せました。
夏目の入院とともに夫の伊集院は、仕事を中断し、
亡くなるまで母親らとともに看病にあたりました。
『愚かな女』は福田の意向で代役は立てられず、
千秋楽まで10日ほど残したところで公演が打ち切られました。
約7ヶ月にわたる闘病生活を送りながら順調に回復し、
退院間近とされる報道がされていましたが、8月下旬から
抗がん剤の副作用が原因とみられる肺炎を併発。
高熱が続き、9月8日に熱が一時的に引き、この時に夏目本人は
退院できるのではないかというほど回復傾向になったと思われますが、
翌9日から再び高熱を発し、9月11日午前10時16分に死去。27歳没。
年齢が若いこともあって病の進行も早かったのです。
臨終の言葉は「は・や・く・・・沼田(母親の実家)に帰りたい」でした。
戒名は「芳蓮院妙優日雅大姉」と「雅月院梨園妙薫大姉」。
前者は小達家菩提寺から、後者は夫の西山家の菩提寺からのもの。
菩提寺は、山口県防府市防府駅近くの大楽寺、
多磨霊園の小達家の墓にも分骨されています。
店長:源川 準
礼に始まり、礼で終わるお墓参り代行
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