稲城市のゆぎおすのブログ
2024年12月10日
オーティス・レディングのお墓(12月10日が命日)
オーティス・レイ・レディング・ジュニア(Otis Ray Redding Jr.、
1941年9月9日 - 1967年12月10日)は、
アメリカ合衆国のシンガーソングライター。
独特の歌唱法でソウルに多大な影響を与えました。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上
最も偉大な100人のシンガー」において第8位。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上
最も偉大な100組のアーティスト」において第21位。
「Q誌の選ぶ歴史上
最も偉大な100人のシンガー」において第4位。
白人のロック・ミュージシャンが多数出演する
モントレー・ポップ・フェスティバルに
オーティスが出ることについて、当初は
難色を示す者が多かった。オーティスが使用していたアンプは、
ザ・フーやジミ・ヘンドリックスが使用していた
大音量のものとは比較にならない程貧弱なものでしたが、
黒人のソウル・ミュージシャンとして同フェスティバルに
出演したオーティスは大観衆の心を虜にし、
音楽に人種の壁はないことを示し、大喝采を浴びました。
共演した、同じスタックス・レコード所属で
ブッカー・T&ザ・MG'sのスティーヴ・クロッパーとの共同作業は
「(Sittin' On) The Dock of the Bay」や
「Fa-Fa-Fa-Fa-Fa (Sad Song)」などのヒット曲を生み、
彼のストーリーを育みました。
1967年12月10日、オーティス・レディングと
バーケイズのメンバー5人、マネージャー及び
パイロットの8名の乗った双発機「ビーチクラフト モデル 18」が、
次の公演地であるウィスコンシン州マディソンに向かう途中、
濃霧で滑走路を見失い近くの凍結した
モノナ湖 スコーベイエリアに墜落。トランペットの
ベン・コーリーを除く7人が死亡します。
盟友のジェームズ・ブラウンは、自家用飛行機で
移動することの危惧を訴えていたそうです。
事故の3日前に録音された「ドック・オブ・ベイ」は、
翌年のビルボードで、1968年3月16日に
週間ランキング第1位を獲得し、オーティスにとって
唯一のビルボード誌週間ランキング第1位の曲となりました。
それまでの曲調とは違うため、スタックス側や
ベーシストのドナルド・ダック・ダンは戸惑っていましたが、
本人がシングル化をレコーディング中に望んでおり、
「俺の初めてのナンバー・ワン・ソングになるぜ」と語っていました。
レディング家の農場であるRedding Family Estateに眠っています。
店長:源川 準
礼に始まり、礼で終わるお墓参り代行
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