稲城市のゆぎおすのブログ
2024年2月1日
石原 慎太郎のお墓(2月1日が命日)
石原 慎太郎(石原 愼太郎[3]、いしはら しんたろう、
1932年〈昭和7年〉9月30日 - 2022年〈令和4年〉2月1日)は、
日本の作家・政治家です。
参議院議員(1期)、環境庁長官(福田赳夫内閣)、運輸大臣(竹下内閣)、
東京都知事(第14代 - 17代)、衆議院議員(9期)、
日本維新の会代表、共同代表、次世代の党最高顧問を歴任。
一橋大学在学中の1956年(昭和31年)に
文壇デビュー作である『太陽の季節』が第34回芥川賞を受賞、
「太陽族」が生まれる契機となりました。
また、同作品の映画化では弟・裕次郎をデビューさせます。
作家としては他に芸術選奨文部大臣賞、平林たい子文学賞などを受賞。
『「NO」と言える日本 -新日米関係の方策-』(盛田昭夫との共著)、
裕次郎を題材にした『弟』はミリオンセラーとなりました。
1968年に参議院議員に当選、政治家に転じます。
福田赳夫内閣で環境庁長官を、1987年に竹下内閣で運輸大臣を歴任。
1995年4月に衆議院議員を辞職。
1999年東京都知事選挙に立候補し当選。
2003年東京都知事選挙、2007年東京都知事選挙、
2011年東京都知事選挙で再選し4選します。
石原都政では新銀行東京、首都大学東京の設立、外形標準課税の導入、
ディーゼル自動車の排ガス規制など議論を呼ぶ政策を実施しました。
2012年、後継に副知事の猪瀬直樹を指名し、
次期衆議院選挙に立候補するため東京都知事を辞職。
同年の第46回衆議院議員総選挙に日本維新の会の候補として
比例東京ブロックで当選し、17年ぶりに国政に復帰。
その後同党の分裂と次世代の党の結党に参加。
2014年の第47回衆議院議員総選挙では党の熱意により
落選覚悟で立候補しますが、落選の確定を受けて政界から引退します。
趣味はサッカー、ヨット、テニス、スキューバダイビング、射撃。
実弟は俳優の石原裕次郎。長男は自由民主党元衆議院議員の石原伸晃。
次男は俳優・タレント・気象予報士の石原良純。
三男は自由民主党衆議院議員の石原宏高。四男は画家の石原延啓。
2022年2月1日午前10時20分、東京都大田区の自宅で死去。享年91歳(89歳没)。
死因は公表されていませんが、死去当日に長男の石原伸晃は会見で
「膵臓がんを患っておりまして、本当によく戦い、
頑張ったんでございますが、昨年の10月に再発をいたしまして、
本日に至ったところでございます」と語っています。
2014年に出版した『私の海』(幻冬舎)には
「葬式不要、戒名不要。我が骨は必ず海に散らせ」
と遺言状に記したとする一方で、かつての秘書によると
「墓石には『青嵐報国』と入れてほしい」とも発言していました。
葬儀・告別式が2月5日、大田区の自宅で家族葬が行われ、
戒名は「海陽院文政慎栄居士」、先祖代々が眠る逗子市の海宝院に
納骨されると報じられました。
2月22日、政府は死没日付に遡り、正三位に叙しました。
なお、通夜には妻の典子も車椅子姿で参列していたが、
夫の死から約1か月後の3月8日に84歳で死去しています。
「骨の一部は愛した湘南の海に戻してくれ」という石原の遺言に従い、
4月17日に海上散骨式が神奈川県三浦郡葉山町の名島沖で行われ、
石原伸晃のYouTube公式chでも動画配信されました。
6月9日午前10時より、元首相・安倍晋三(その後翌月8日に銃撃死)、
読売新聞グループ本社代表取締役主筆・渡辺恒雄らが
発起人を務めた「お別れの会」が東京都内のホテルにて開かれ、
各界の関係者らが参列しました。
祭壇は、石原が愛した湘南の海をイメージさせる青や白の花で装飾され、
両サイドには愛艇「コンテッサⅡ世」のセイルが飾られました。
<遺言に従い>
神奈川県 逗子市 曹洞宗長谷山海宝院にある墓石には
『青嵐報国』
の文字が刻まれています
戒名は「海陽院文政慎栄居士(かいよういんぶんせいしんえいこじ)」。
文学の「文」や政治の「政」など故人を象徴する字が並びました。合掌=
店長:源川 準
礼に始まり、礼で終わるお墓参り代行
<関東>
東京都
神奈川県