稲城市のゆぎおすのブログ
2024年11月5日
本居宣長のお墓(11月5日が命日)
本居 宣長(もとおり のりなが、
享保15年5月7日(1730年6月21日) -
享和元年9月29日(1801年11月5日))は、江戸時代の
国学者(文献学・言語学)、医師。名は栄貞。
本姓は平氏。通称は、はじめ弥四郎、のち健蔵。
号は芝蘭、瞬庵、春庵、鈴屋。
荷田春満、賀茂真淵、平田篤胤と
ともに「国学の四大人(しうし)」の一人とされます。
伊勢松坂の豪商・小津家の出身。
契沖の文献考証と賀茂真淵の古道説を継承し、
国学の発展に多大な貢献をしたことで知られます。
真淵の励ましを受けて『古事記』の研究に取り組み、
約35年を費やして当時の『古事記』
研究の集大成である注釈書
『古事記伝』を著します。
『古事記伝』の成果は、当時の
人々に衝撃的に受け入れられ、
一般には正史である『日本書紀』を講読する際の
副読本としての位置づけであった『古事記』が、
独自の価値を持った史書としての
評価を獲得していく契機となりました。
寛政10年(1797年)6月13日、宣長は
『古事記伝』を完成させます。
起稿して34年後のことであす。
同年の9月13日には、『古事記伝』の
完成を祝した歌会を開いています。
享和元年(1801年)没。71歳。
三重県松坂市山室町高峰の妙楽寺に葬られます。
死に臨んでは遺言として、
相続その他の一般的な内容のほか、
命日の定め方、供養、墓の設計までにも及ぶ
詳細で大部の「遺言書」を残しました。
また、殿村安守が京都から鴨川井特を招いて、
宣長像を描かせています。
本日は本居宣長が★になった日。
秋の夜長、たまには「古事記」などに
思いを馳せてみましょう=
店長:源川 準
礼に始まり、礼で終わるお墓参り代行
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