稲城市のゆぎおすのブログ
2024年6月21日
勝新太郎のお墓(6月21日が命日)
勝 新太郎(かつ しんたろう、1931年11月29日 - 1997年6月21日)は、
日本の俳優・歌手・脚本家・映画監督・映画プロデューサー・三味線師範。
本名:奥村 利夫(おくむら としお)。
身長170cm。血液型O型。
市川雷蔵とともに大映の「二枚看板」として活躍。
その後は「勝プロダクション」を設立し、劇場用映画やテレビ作品などの製作にも携わりました。
勝新(かつしん)と愛称で呼ばれ、豪放磊落なイメージと愛嬌のある人柄で、
数多くの不祥事を起こしながらも多くのファンから愛された。
2014年に映画関係者や文化人を対象にしたキネマ旬報のアンケートでは、
好きな日本映画男優の第4位に選ばれている。
1990年1月16日、勝はアメリカ合衆国ハワイ州のホノルル国際空港で下着に
マリファナとコカインを入れていたとして現行犯逮捕されます。
麻薬を下着に入れていた理由について「気付いたら入っていた」と述べ、
逮捕後の記者会見では「今後は同様の事件を起こさないよう、もうパンツをはかないようにする」
「なぜ、私どもの手にコカインがあったのか知りたい。」ととぼけ通し、
結局、誰から薬物を受け取ったかについて、最後まで口を割ることはありませんでした。
帰国した翌年に日本でも麻薬及び向精神薬取締法違反の容疑で逮捕され、
懲役2年6か月執行猶予4年の有罪判決を受けます。
裁判では「傍聴者」を「観客」と呼び、客を楽しませる台本まで考えてから出廷したといわれています。
この事件以後、俳優活動の場を舞台に移します。
1996年7月に下咽頭癌を発病。手術はせず、抗癌剤と放射線の治療を行ないました。
入院中も外出を繰り返して寿司や酒を楽しみ、平然と煙草をふかしました。
約4か月後の記者会見でも「煙草はやめた」と言いながら堂々と喫煙する様を見せた。
しかし実際には療養中は禁煙し、会見での喫煙はパフォーマンスだった
(煙を肺まで吸い込まず、口元でふかしているだけ)、と中村玉緒や鴈龍は後に振り返っています。
死の前年である1996年4月23日には『笑っていいとも!』(フジテレビ系)の
「テレフォンショッキング」に出演しました。
最後の舞台は大阪新歌舞伎座で中村玉緒と夫婦役を演じた『夫婦善哉』。
1997年6月21日午前5時54分、
入院先の千葉県柏市の国立がんセンター東病院において下咽頭癌で死去。65歳没。
東京都港区の蓮乗寺に、兄の若山富三郎さんと共に眠ります。
店長:源川 準
礼に始まり、礼で終わるお墓参り代行
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