伊東市のれすぱいと伊豆高原のブログ

養生訓 何か楽しみはありますか?

2019年4月14日

今日の養生訓は「年老ては、さびしきをきらう」です。
年を取ってから寂しい思いをするのは良くないという、当たり前の事がかいてあります。もちろん若い時でも寂しい重いはしない方が良いとは思いますが、歳を取ってからの方が、ダメージが大きいのかもしれません。当たり前と書きましたが、人と交流したくない人もいるのも事実ですので、そんな人に力ずくで何かのイベントに参加させても余計なお世話だと怒られることもありそうです。

原紙時代の人間はバンドと呼ばれる20~30人の小集団のグループで生活していたと言われています。血縁関係が中心のグループだったようですが、だいたいそれ位の人数が集団としてバランスのよい人数なのではないかということです。これ以上でも以下でもバランスが崩れ、いさかいが起こりやすいのかもしれません。人はそういった小集団として進化してきた生き物ですから、それ以外の人数で居心地が悪いと思うのは、合理的であろうとなかろうと、どうしょうもないことなのかもしれません。

とにかく人間はそれなりの集団の中で生活しているときに、安心感を覚えるということは事実で、絶海の孤島で楽しく暮らすことも、一日中満員電車の中で生活する事もできません。たまにそんな環境が好きな人もいるようですが、迷惑をかけているわけではないので、暖かく見守っていればよいように思います。

一時期、アドラー心理学が流行りましたが、アドラーは「自分自身の幸福と人類の幸福のためにもっとも貢献するのは共同体感覚である。」と述べています。共同体感覚とは、他の人の目になって見れることです。いくら能力があっても無人島でそれを生かす事はできませんし、それでは幸福とはいえません。自分の能力は自分の為だけにあるのではなく、社会で生かす為にある。すると社会に認められるようになり、居場所ができ、他のひとから信頼されるようになるという事です。アドラーはこのことを幸福感と呼んでいます。

少し偽善的過ぎると思われるかもしれませんし、今の時代はこんな意識で生きていると、詐欺に引っかかるのではと周りの人に心配されるかもしれませんが、純真無垢であれという事ではなく、人間の心理の本質はこのあたりにあるという事だと思いますので、幸福感を感じるならそれで良いのではないかと思いますね。ちょっと外れますが、私の好きな言葉にこういうのがあります。二葉亭四迷の「信ずる理由があるから信じているのではなくて、信じたいから信じているのだ。」つまり理屈ではということですね。

さてだいぶ話が脱線してしまいましたが、表題の「何か楽しみはありますか?」というのは、仕事を引退して暇になったときに、何でもよいので、楽しみを見つけたほうが良いですよという余計なお世話な話です。それも一人で楽しむものでなく、他の人と交流できるような楽しみを持つことが良いのではないかと思います。私の祖母もそうでしたが、ゲートボールに熱中し他のメンバーと喧嘩するほどでしたが、良い刺激になっていたようですし、運動にもなっていました。昔やりたかったけど、時間が無くて習えなかった事を始めるとか、体さえ健康であれば老後はそれなりに楽しみを見つけられそうです。とにかく何でもよいので社会に参加して人と交流する事が大事だということです。

私の場合は、生き物(特に虫)の写真を撮ったりするのが好きなので、まだまだ続けていけそうです、養蜂をやりたいという夢もあるので、実現できるまで何とか元気でありたいと思っています。

※写真は伊豆高原の大室山

養生訓 何か楽しみはありますか?の画像1

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