伊東市のれすぱいと伊豆高原のブログ
2019年1月10日
養生訓では冒頭から、この心構えを持っていさえすれば健康長寿を得られるという一字を提示しています。
それが「畏」(おそ・れる)という字です。
念のため、ネットで意味を調べてみると下記のような意味があります。
・相手の力に押されて心が弱くなる。
・かなわない、どうしようもないと思ってこわがる。[恐・怖] 「暴君を―」
・悪い結果になるのではないかと心配する。[懼] 「冷害の発生を―」
・敬いの心が生じて、かしこまる。 「神を―・れないしわざ」
では原文を一部引用してみると
「身をたもち生を養ふに、一字の至れる要訣あり。これを行へば生命を長くたもちて病なし。親に孝あり、君に忠あり、家をたもち、身をたもつ、行なふとしてよろしからざる事なし。
その一字なんぞや。畏の字これなり。畏るるとは身を守る心法なり。事ごとに心を小にして気にまかせず、過なからん事を求め、つねに天道をおそれて、つつしみしたがひ、人慾を畏れてつつしみ忍ぶにあり。」
だいたいの意味は、健康長寿で幸せな生活を送る為の最も重要な事は"畏"という気持ちを持つことだ。"畏"とは身を護る心の持ち方であり、あらゆる事に注意深く対処し、適当でもなく過剰でもなく、天道に従い、欲望を慎み我慢しなければならない。という感じでしょうか。
貝原益軒は江戸時代の儒教学者でしたので、これをそのまま今の時代に持ってくるわけにもいきませんが、基本的には、我欲を捨て、天道にしたがうという気持ちを持っていたほうが、人間関係もまくいくような気がします。
現代でも、ほとんどの人の悩みは人間関係がうまくいけば解決できることが多いと思います。病は気からという言葉があるように、悩みが解決すれば、ほとんどの病気も無くなるのではないかと考えます。
少し前に人気のあったアドラー心理学では、人はどんな時に幸せを感じるのかという問いに対して、このように答えています。
「自分が誰かの役に立っていることを実感する事。」
つまり人の役に立つこと、そして認めれれる事が人間の幸せだという事ですので、当然、貝原益軒の教えに従い我欲を持たず、過不足なく慎みの心を持ち、自分の所属する社会の人のことを考えて生きていくことで、心身共に充実した人生を歩めるような気がします。
※写真は一昨日の昼に行った目黒のそば屋(福田屋さん)で食べたニシンそばです。美味かった(^^)
店長:阿木一浩
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