伊東市のれすぱいと伊豆高原のブログ
2019年5月21日
私が子供の頃(1970年代)は水分補給の重要性についてワザワザ語られるような時代ではありませんでした。逆に運動部では水を飲まないことが美徳であると叩きこまれました。中学生時代はテニス部に所属していましたが、水を飲むことは強く戒められていたので、顔を洗うふりをして水を飲んだり、タオルに染み込ました水を絞って口に含んだりして禁を破っていました。時には腕立て伏せをしながら水たまりの泥水をすすりたい欲求にもかられましたが、そこは何とか我慢しました。
それでも倒れたりする者もおらず、喉がカラカラになりながらも走り回っていました。今なら大問題になるところですが、当時はプロのスポーツ選手でもそんなものだったのではないでしょうか。そしてクラブ活動が終わると皆で競うように水道水をがぶ飲みしたものです。家では井戸水を直接飲むか、夏は水道水で沸かした麦茶を冷蔵庫で冷やして飲むのが通例でした。水は喉が渇いた時にしか飲まないというのが常識だったのではないでしょうか。
日本でミネラルウォーターが一般化したのは1983年の「六甲のおいしい水」がきっかけだそうです。今から36年前、バブルが膨らみ始める少し前ですね。(バブル景気は1986年~1991年の間とされています)その数年前からでしょうか、海外では水が「販売」されていて街では若者がバックパックのメッシュのポケットにエビアンウォーターを入れて、颯爽と歩いている姿が紹介されたり、一部の芸能人がそのスタイルを取り入れて話題になっていたように思います。私のような田舎ものにはお金を出して水を買うという事事態が信じがたいことで、奇異に感じるのみでしたが。
私は二十歳の時にお金を借りてハワイに行ったのですが、当時はハワイツアーが非常に安く行けるようになった時で5泊くらいしたと思いますが98000円でした。その時の米ドルのレートはまだ240円くらいしたので、この価格は破格でしたね。そのハワイに行った時に見た印象的な光景のひとつは西洋人がペットボトルを持ち歩いていたことです。その姿がカッコ良くて非常に印象に残りました。ただしハワイの水道水は直接飲むことができたので水を買う「勇気」はありませんでした。(^^)
それからミネラルウォーター市場は急激に拡大し、誰もが水を買う時代になってしまい、今では水道水を飲む方が少し勇気が必要なほどです。
さて本題にもどりますが、1日に必要な水分量は厳密には決まっているものではないというか、人それぞれ体格も体質も違うものですから、何リットルと決める事はできません。欧米では1.5リットルと推奨しているそうなので、日本人の体格や食生活を考えてみると1.2リットルくらいなのかなと想像します。
まぁこれで終わってしまうと、あまりにもいい加減なお話になってしまうので、私の尊敬するフルフォード博士の「いのちの輝き」から水についてのアドバイスを引用します。
「水の役割を軽視してはならないということだろう。毎日、適量の水分をとることを忘れてはならないが、ここでもまた、その量は人によって異なる。わたしがめやすにしている計算方法は、つぎのようなものだ。自分の年齢を二で割った数値が、その人の一日に必要とする水の最小オンス(一オンスは約30cc)になる。たとえば、五0歳の人なら二五オンス(約750cc)である。これはケアリー・A・リームの「生と死の選択」(Choose Life or Death,Holistic Laboratories Inc.,1990)によるものだ。ところで、われわれの飲料水の大半は汚染されており、政治家たちの多くはその問題に背を向けている。だから、手に入るかぎり最良の水をのみ、自宅の水道水の汚染にかんする情報に注意を払う必要がある。たとえば役所が沸かして使うように指導しているのならそれに従うべきである。」
という事で博士の推奨する水分量をccで求めるならは<年齢×15>となります。私が54歳なので54×15=810ccとなりますので500ccのペットボトルなら一本と半分弱、コップなら5杯程度になりますので、十分飲める量だと思います。
私の場合この量を基準として季節や体調によって自分の身体と対話しながら調整していけば特に問題は無いのではないかと思っています。
テレビや健康情報誌では喉が渇いた時点で水分補給してももう手遅れになるので、水はこまめにチビリチビリ飲むようにというという事ですが、健康な人はそこまで気にする必要はないのではないかと思います。
※写真はお腹の色がユンボと同じキセキレイ
店長:阿木一浩
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